博物館の展示はみんな自分の手で集めたものだ。96年、南米博物館会議が開かれたとき、南米中の博物館の偉い人がきたが、これを作るのに掛かった費用が数千万円だときいて、目を丸くしておった。チリとボリビアからは「ぜひうちの国でつくってくれ」といわれたがそんなヒマはないので断った。実を言うと、外見も内装も一見きれいだがあまりカネはかかっておらんのだ。ワシはあまりカネのない男なのだ。そのかわり身体で覚えたノウハウは人一倍、どころか10倍ぐらいはもっている。いろんな工事の資格も10ぐらいもっておる。
移民とその子孫の2世、3世、4世で100万人を軽く越す日系人でなぜ自分だけが博物館なんてできた?
わしは大学なんかに行かなかったからなのだ。
わしは才能はあった。
むかし、アオバアリガタハネカクシという毒虫が大量発生し日本中が大騒ぎになったことを年輩の人ならおぼえておられるかもしれない。あのとき、いちはやく、プラスチック詰めにしてキーホルダーにしたら、朝日新聞の記事になって、全国から注文が殺到したのだ。それで日本中に売りまくて、部費を稼ぎ出した群馬県立太田高校の生物部長その人であったのだ。
太田というといまや、ブラジルから大挙して出稼ぎにいく先になってしまったが、わしはその太田からブラジルにくるのに苦労をしたのだ。人と同じ方向にいっしょに行くようではみこみは薄い。わが道をゆくのだよ、3世4世、そして日本の若い諸君よ。
しかし、今になると偉そうなことをいいたくなるが、実は、ビンボで、家にカネがなくてほんとうは大学で生物学を勉強したかったのにできんやった。いや、生物の成績だけは断然トップだったが、ほかの勉強はまるきりしなかったのだ。だが、予備校にいって、ゆっくり他の科目の勉強をして受験、とかそんな余裕は自分の家にはなかった。就職するしかなかった。
だから、そのあといろいろぐれたりもして、あるとき上野のヤクザの親分に説教されたりして、これではいかん、とおもった。
いろいろあったが、どうしても、くやしくて21年前アマゾンに移住したのだ。その前は上野でフーテンをやったり、たちぐいソバの店員や火災報知器のセールスマン、養鶏場のトラックの運転手、工場のコック、ボイラーマンとなんでもやったぜ。100人や200人のカレーライスを作るなんておてのものだ。女房より料理はうまいのだ。わはは。
そのときの知識があったから博物館をつくれた。今になったら大学にいってなくてよかったと思う。なぜなら勉強はこれからできるが、博物館は若いときのエネルギーがなかったらできないからだ。
今アマゾンは危機だ危機だと本当はロクに気にもしてないマスコミとかがさわいでおる。しかし、アマゾンの自然についてはたいしたことはわかっとらん。わからんで騒いでも説得力がない。ほんなら研究せい、ちゅうてもマスコミがプロ野球や高校野球にかける何十分の1も、カネなんぞださんじゃろ。
だから、わしはあと30年自分で稼いだカネつかって、研究しようと思っておる。偏屈で口の悪い一種の変人だといわれるが、人間嫌いではない。真面目な生物学徒ならいつでも歓迎じゃ。
この間、日本の偉い学者さんがハサミ虫を研究しにきた。世界でもそんなムシを研究してる人は3人ぐらいしかおらん。その大先生は、わが博物館に着くやいなや虫眼鏡をもって、地面にはってハサミムシを探し始めたものだ。わしはこおいう人が大好きだ。
だからわしは「先生、まあ今日はゆっくりやすんで」というて、次の日、友達からブルドーザーとダンプと建築現場用の巨大な砂ふるいマシン借りてきて、そこいらの土をブルでがばっととってフルイでゆさゆさやってあげた。そしたら、どうだ。何百というハサミムシがぽろぽろこぼれてとれた。先生は喜んだのなんの。わしが論文だしたら「キミがのぞむなら博士でもなんでもしてあげる。この発想と行動力がいま日本に欠けているものだ」って...わしもうれしかったけど、まあ、これで博士になっては申し訳ないので、いつかちゃんとした論文を書こうとおもっとる。はやく書かない、とあの大先生もうだいぶトシだな。でも先生の喜びは、わしもわかるんだ。日本の常識だと、一匹採集するのも大変だ、とおもっておられたからな。
こういうことができるのはアマゾン広しといえどもわしだけだ...ということになっておる。まあ、日本人ではわしだけ、と威張っておこう。