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ツクナレ夫人の釣り体験記
ゴルフもテニスもスポーツらしいものはすべて運動オンチの我が家で、唯一なんとかなりそうなものは釣り。またまた子連れで出かけましたる顛末
船頭は科理のウデで
大きな荷物を手に手にごった返す早朝の市営市場をぬけて河岸に下りると、陽気な太鼓腹のおやじ、船頭のアルミールが待っていた。このおやじ、船の運転の腕もさることながら食べ物にはうるさくて釣った魚をペッシャーダという魚鍋に仕立てるのがめっぼううまい。良き釣り人どは、良き科理人でなくてはならない、というモットーをもつ橋本と気の合う所以である。
きょうの同船者は、すでに荷物を積み込んで待っていた。アマゾン住歴40年、欠けた歯を見ぜて笑う笑顔が畑正憲に似た小柄なM氏。飄々として融通むげ、存在自体がすでにユーモアという彼に、私は密かに「アマゾン河の釣仙人」の名を奉っている。
ハンモックと食科満載のポートは、ともかく出発、河の上に浮かぷガソリンスタンドに寄って給油、氷も発抱スチロールの箱に満たして大漁に備える。これからリオネグロ河を90キロ、ツクナレを求めて遡る。
心地よいスピードと揺れ、河風にふかれる解放感、これは車にも飛行機にもない感覚だろう。日頃気づかぬうちに身体に身につけたもろもろ、つまらぬ悩み、些末な拘り、そういったネパついたものが、パリパリに乾ききって、剥がれ落ちる鱗のように微塵に飛ぴ散っていく一一ような気がする。昼寝ざんまいの今の私には、関係ないようなものだが。
おしっこは船上から
出発から3時間半、マナウス周辺とは大分様子が違ってきた。河岸で洗潅をする女たち、水避ぴに夢中の子供たち、カノアを音もなく巧みに操って釣りをする男たち。私たちもそろそろ竿の用意にかかろうか。
「ママ、おしっこ」
う一ん、いよいよという時にすぐこれだ。
「止まっている暇はないのよ、後ろの方へ行ってしてきなさい」
「オイオイ、こっちを向いてしたら飛沫がかかるじゃないか」
釣り気に逸る親は、もう子供のトイレどころでではない。
スピードをおとした船は、ゆっくり岸辺のポイント、ポイントをまわっていく。岩の露出した付近、倒木の陰、木立が半分水につかっているようなところ、地形がちょっと突き出た瀬の部分。魚はいつも河上に頭を向けているのが定位置だが、魚とていつもいつも流れに逆らってこれを維持するのは接れる。やはり物陰のよどみに休んでいる。そこを疑似餌のルアーをかすめるように流して気を引くわけである。
根がかりの解決策
おっと、何かかかった模様です。他の人たちもいっせいに糸をまいて、絡みあわないように協力して、注目。何だか重そう。
エンガッター!なんだぁ、ひっかかっただけ?
こういうことが実に多い。ポイントが岩や木の陰である以上、水面下は、突起物がいりくんでいてそのうえアマゾン河は透明度が悪いので中の様子が全然見えない。船をパックさせなから糸を巻いて巻いて反対方向に引っ張る。取れない…。ここでやたら引っ張ると糸が切れてルアーがもどってこないことになる。ひとつ20ドルもするのだ。魚がかからなかったうえに、ルアーまでなくしたら大赤字である。
「どれどれ」釣仙人が竿を受け取ると、キリキリ、キリく水の中まで竿ごと手を突っ込んで目いっぱい巻ききる。そして、エイ、ヤッ、とばかりに垂直に竿を突き立てた。と、あら不思議、ポワンとルアーが浮いてきた。う一ん、すごい!さすが仙人、一同賞賛の拍手。ためになることを学びましたね。以後、各自この方法でやるように。
男たちが黙って魚とあそんでいる間に私は双眼鏡をのぞく。木立にさえぎられて日も当たらない河面は、黒々とさざ波ひとつない漆黒で、そこに岸辺の影を天地対象に映しだして静まり返っている。カワセミがその河面を斬って飛ぷ。ルリ色の光を放つようなつやのある翼と、裏の暖かみのある驚色のコントラストが群やかだ。自サギが餌をあさっている。サギの純白は自然の中にあると、目にしみるほど際だって目立つ。最初こそ緊張して竿を握っていた子供たちも魚信のないまま飽きてきたらしい。そろそろお昼ごはんにしませんか。
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