武侠小説と時代小説】

 

2月14日 曜日 天気 { } 

 

思い切って、というほどでもないけど、ヘアカット。短くしてみる。なんせ頭のてっぺんが薄い喝破状態だから、こういうのは勇気がいる(^^)。ながいしらがをフサフサとかしてると、なんか文化人みたいで自分にはにつかわしくない、とおもっていたが、床屋なんざ10余り年いった記憶が乏しいし、面 倒だからほうっておいたのだが、カミさんに相談したら、どこからともなく、ドライヤーに似たナショナルのヘアカットマシンがでてきた。これが電気ひげそりのオオサマみたいな格好だが、えらく効率的で、もともとこういうことの得意なカミさんにかかると30分あまりで、似非文化人風が、カッパスポーツマン風に変身。あたまが涼しくかつ軽く、ぐあいよろし。

 

夜は、いきつけの新宿の飲み屋にいったらオヤジが、そのまたお袋が呆けてかなんかで弁護士に会いにでかけた、とかで留守。若い衆が留守番を命令されて、客は俺たちだけ。おれと、もうひとりは中国人で日本人の夫と結婚して本も書いておられるご婦人。10年ぶり再会。小説を書きたいので意見を求められる。

 うーん、すばらしい日本語の文章を書ける人だが、惜しむらくはきんようの武侠小説みたいな文章だ。ホネだけなのね。こういう文章は事実を忠実に記録したり、あるいはエッセイならいいんだが、日本語の小説には決定的に向かない。日本語の小説は、筋はそれなりにしっかりあるが、読ませるには繊細な事物と心理描写 の上に、読者の共感を誘って読ませていく。それにたいして、筋だけをポキポキと読ませる というやりかたではまず、よまれっこない。これは、たとえば中国のエロ本が日本人にゼッタイ受けない、のとにている・・がまあ、まさかそんなことをいうわけにもいかないから、武侠小説と時代小説の違い、をおはなしして、しながらこっちだけ焼酎のんでよっぱらい。金庸と宇江左真里の差はそう簡単に説明できるもんじゃない。

 この日は、昼間2時間散歩。いままであまり行かなかった北をぐるり一回り。公園でフリスビーして、と。