コンタ ニューヨーク旅日記  4

2000年9月某日

お昼頃にもぞもぞ起きる 昨日は一階でパーティが遅くまであったみたいで昼頃でもとても 静かだ。 本を見ながらどこに行こうか考えるが,少々疲れ気味〔絵画見学疲れか?〕 なのでうだうだする。 いくらすばらしい名画でもこれだけ見れば疲れる… もしかして名画じゃないんじゃないか!!!そんなたいそれたことも思う。

夕方,今日も夜パーティがブルックリンであるからいこうといわれ,考えた末に行くことに。 夜11時にチャイナタウン待ち合わせ.そこまで行くのに1時間15分くらいといってたのに48分でついちゃってヒマだったので一人夜のチャイナタウン見学。僕はチャイナタウンは安全だと思った。やっぱり語学で切ると安心さも増すよなぁ。 しみじみ。

約束からさらに遅れること15分,ようやくR子さんとりんさんが登場。 そこからいったんフィリピン人の人のうちに行きそこでゲバラと合流。 フィリピン人の彼女の名前は忘れた。彼女の仕事なのだろうが、2mもあるポケモンの絵が描いてあった。ポケモンさんと覚えることにする。 そのままブルックリンへ。

地下鉄の中そのフィリピン人の人と話していた。英語で。はぁ,やはりすごく疲れる。気合で電車の乗車時間内の会話は大部分わかるが、この気合を使うと体力メーターがものすごい勢いで減っていく。 頭を抱えながらようやくブルックリンに着いたのは12時半ごろだった。結構クイーンズと雰囲気にてる。 港の倉庫が今日のパーティ会場で,クラブらしいんだけど,とてもイリーガルな感じを受ける。 日本のクラブと違いすごくシンプル.ヒミツの会合っぽい。もしかして秘密クラブ!!!

しかし,はなしをする相手もいない僕はこの人ごみがかえってうっとうしく 思え,1時過ぎにはかえることを決意。れいこさんに断ってかえろうかなと思ったら,ご丁寧に駅まで送ってくれた。 雰囲気は味わえたからよしとする.ここの住人じゃないとわからない感覚なんだろうなぁ。なんか、不良の同窓会みたいだったなぁ.同窓会じゃ部外者はわかんねぇよなぁ 帰ってきても一人でヒマだったのでパソコンをつける。 風らいのシレンをする。 12回目でクリア。フミちゃんを無事救出。 次のはムズカシイのでやめて寝た。 _________________________________________________________

2000年9月某日

今日は朝からとても忙しいとわかっていたにもかかわらず 珍しく眠ることができすに布団の中で朝の四時まで起きていた。 つまらないことをたくさん考えた. どうやって荷物を持って帰るべきなのか,何を送り何を手持ちで? 新しい部屋はどういう部屋にしようか,僕はどこへ行くべきなのか・・・ そんなことを考えていたら朝になった. 7:30ルームメイトのリンが起こしてくれた。

さあ,いかなければ,ニュージャージのLIAOさんの家に!

42丁目のバス停まではなんとか苦労をせずにたどり着くことができたが その中で悪戦苦闘.なんせ初めてのバス,しかもNYしないじゃないところへ,隣街でも緊張する。 予定のバスより遅れた時間のバスだったがニュージャージーのエングルウッド 行きのバスに乗ることができた。

〔フーここまで繰れば一安心,終点だから寝ちゃおうかな.〕なんてのんきに思って,グレープフルーツジュースを飲んでると隣の席から視線が・・・ 日本人だとすぐわかった.向こうもわかったはずだ。 はじめの20分はめんどくさいので無視していたが,ここは中国じゃないので一応話しておいて何かあったときに助けてもらおうかなんて甘い考えを持ったのが過ちだった・・・ 何気なく,ニュージャージ州にはいつ入るんですかねぇ.なんてきいてみたら、 もうとっくに入ってますよ,橋をさっきわたったの知らないんですか?問いわれははぁと応えておいた。〔実は知っていたのだ.えへん〕

今度は向こうから留学ですか,観光ですかと聞いてくるので観光です.今日は先生に会うためにNJに来ていますと応えた.NJのどこですか?と聞くので住所を見せたら、住所より電話のメモの〔ヤオハン,みつわ,紀伊国屋〕の3単語に反応し、 ああ,これはもうすぐのところですよ。ではそろそろ降りたほうがいいのですか?ときくと,いや,ここは交通 の便が悪いのでもう少し先まで行ったほうがよいでしょうといわれ,それに従った。それから彼は喧嘩して鼻の骨を折られたが相手の足の骨を折ってやったとか〔すごく弱そうな人なんですが・・・〕自分は高校卒業して,日本の大学に行かずにこっちに来て五年目でNYU〔ニューヨーク大学〕の学生だとか自慢?はなしていてでは英語はぺらぺらなんですねと聞くとまぁNYUの学生ですからね,みたいに言っていた。

それなのに・・・ 突然自分はここで降りますカラーといって,降りようとしたため,ここは仕方ない,すみませんが運転手さんにヤオハンの近くで下ろしてくれるよう言っていただけませんかというと,たどたどしい英語で言ってくれた。 運転手さんはどんどん行きます。どこまでも。

あれ?さっきもうすぐだって言ってたし・・・? 不安は募るばかり。今度は自ら住所を見せこの近くでおろしてくださいと言ったら,(これどこ?そのジャパニーズフードショップって何?〕といわれ,だんだん青ざめてくる。ところがその黒人さんの運転手さん,(ああ思い出した,この近くだよ.あるある。)と,急に笑顔で教えてくれて,やっぱ知ってるじゃないですか ,やだなぁと安心したkon太・・・・おまえはばかだ!!! 運転手さんはハングル文字がいっぱい書いてあるお店の前でここでしょうとニコニコして言う。(えっ?絶対違うよ,ここだけは・・・〕そんな顔していると急に,ハンドルから手を離して特有のポーズで〔じゃ,しらねぇ,降りろよ〕といわれポカンとしたまま降りることに。

NYにはない緑いっぱいの広い道路。 郊外の素敵な広いお庭付きのお家。 ガソリンスタンドと喫茶店が一件,お決まりのようにクルマやさん。 ガソリンスタンドの電話からLIAOさんに電話すればなんとかなるさ,そう思い 電話すると,〔道の名前はなんですか?〕と聞かれ縦に大きな通りがはしってたため,(ナントかナントかです。)というと,(横は?その通 りすごく長くてNYのほうまで行ってるから横がわからないと困る.といわれ,〔ナントかナントかと書いてあります〕というと,(知らないなぁ,どこなの,そこNJの?)といわれSHOCK!!! というか,最大のピンチ。(ガソリンスタンドで聞いてからもう一回電話して!〕といわれて(はい・・・)としか応えようもなくガソリンスタンドのおじさんに かなり恥ずかしい質問をした.

〔ここどこですか?〕(???)〔いえ,ですから,ここの住所を教えてください〕〔WEST9〕(そんな短い住所なわけ,この無愛想なおじさん,また俺に冷たくして.)しかし,彼のほかには人はいないし信じるしかなかった.〔WEST9〕だそうですと電話すると〔よし分かった,行くよ〕といわれ 天国にも上る気分だった。と思ったら,すぐに目の前にクルマが.〔君か,iさんの紹介の?)〔ハイ,kon太です〕といい,2分でLIAO先生の家に着いた。

まだ天国に行った気分を楽しみたかったのかもしれない僕の複雑な気持ち.つまり家の裏で迷ったと思ってたようなもの・・・いったい・・・  家は予想どうりきれいできっちりした版画家の家そのものだった。 奥様も迎えてくれて〔おあがんなさい〕と日本語で。 (スゴイ・・・)ってっきり今日は中国語かと思っていたがお二人とも日本語がとてもうまい。 台湾のおいしいお茶をいただきながら,(中国の美院で張君のところで習っているんだって?〕という切り出しに〔張君??〕に驚き,僕にとっては張教授なのだから仕方がない。(はいぃ)と返事する。そこからだんだんLIAO先生の本領発揮。

Luさんは元気かい?Luさん???僕にとってはLu大先生でまだ怖くて自分の製作したものを見せたことがないお方なのだ。しかし、Lu大先生とは仲がよく〔先生の人柄によるものだが〕2,3度アトリエにも行かせてもらったし,今学期帰国する前日には来学期作品見てもらえますかと言ったこともあるので,〔大変元気にしていらっしゃいます.〕と応え,次から次えと(Hanさんは?)などなど質問が来て,一息つくと(先生はとても美院に詳しいですね〕と言うと,(まぁ,前に教えたことあるからね)とさらりというではないか。自慢じゃないが,うちは中国切っての名門校,かの有名な中国美術学院。いったいこの人・・・?とまずLIAO先生に興味を持つ。

〔質問がたくさんあると電話で言ってただろう?はなしてごらんよ〕と餃子を食べながら優しく言ってくださるので,コラグラフなどの現代技法を少し教えていただきたいのですが,具体的に言ってもよろしいですか?と聞くと,おおいにお笑いなさって,横の壁の版画を指差して〔これはシルクスクリーンとコラグラフで作ったものだよ〕と説明してくれた.そこから,さまざまな角度からコラグラフや写 真製版,アジアの版画交流の実態や現代アメリカの技法,そして僕の考え方に対する意見や金相年〔作品を持っていったんだ〕の版画に対する意見,古代中国の版画の貴重な資料や僕が帰国後やらなければいけないこと,芸術大学で勉強するイミの基礎的な事から職人というものすばらしさ,技術の発展のすごさや,悲しさなどをあらゆる資料〔全部現物なのだ〕を僕に見せながらも話をしてくれた。

9月末から台湾の国立美術館で個展があるから忙しいときだったはずなのにわざわざ時間を割いていただき,友人からの紹介でここまでしていただけるとは夢にも思っていなかった。

技法の説明は,とても丁寧で,忘れないためにここに記しておく。 コラグラフはコラージュなので,基本的名ルールとしてすべてのものを使ってよいということだ.つまり問答無用。 たとえばりんごの版画を作りたいなら,りんごの形に紙を切り抜く。(厚手の紙 ならなんでもよいが,ボール紙や両面ボール,黄ボール,イラストレーションボードなんかがベストだ。) その後,マチエールを作り(たとえばジェッソやモデぺ,アクリル系の絵の具〕 紙の上に塗る。ガムテープのメッシュや,壁に張るようなリノリウム製の物はそのまま使ってもよい.もちろんだ,問答無用なのだから!ただし,何か貼りつけるときは丁寧に,慎重にやらないと後で大変面 倒なことが起こる。 その後,ワニスやラッカーで水が浸透しないように防水する。これも1度ではなく2度塗って完璧な防水を作る。その後いったん空でプレスし安定させる.これも重要だそうだ。後は,プレス機のしたに透明のゴム版やリノリウム版を置き,その下に下絵〔どこにそのコラージュをおくかを示したもの〕その通 りに刷っていくだけだそうだ.

この技法の最大の魅力は他の技法との併用に支障がないことだそうで,かなり研究してみる価値がありそうだ. 一般多色刷りについても聞いた。 これは,ローラーを色の数だけ用意し,且つ,色の数だけ別 々の柔らかさのものを使い,版は,その数だけ違う深さに作るというもの。 なるほどー。これは銅板にむいてそうな技法だが,コラグラフでも可能だな.

そう言えばLIAO先生もやってたなぁ。

アジアの版画交流については,学校を卒業してから版画に携わらない,版画に携われない人が多いのが非常に残念だが,宮山さんというかた〔この方を紹介してもらった〕が,若い人中心の組織を作っているので君も入ってみてはどうかね?といわれた。まず,こういったところに所属するのが好い方法だそうだ。最も審査があるそうで,どうなるかはわからないが・・・

アメリカの現代技法については,写真や映像のことはよくわからないが,一つの方法として見とめるべきだし〔僕は嫌いですと言ったから〕一度やってみるのもよいかもしれない.ただ君の場合は,せっかく中国の大陸にいるのだからもっと中国の職人や工房,年賀を見て学校じゃないところでも勉強をしたほうがよさそうだ,といわれた。そして,木版画をやってる限りは日本のことも知らないといけないし,今君がアメリカに来ても新しい現代版画,コンピューターを一からはじめるつもりかね?と意地悪っぽく言われてショックだった.意地悪っぽくというか問いかけだった。

 僕は君にkを紹介してあげよう.k氏!。日本の木版が会の重鎮であり,教育者としては最高の人物である。京都精華大学の版画科の地位 をここまで引っ張っていってる,いや日本の木版画の地位を現在もトップとしてキープしているのは彼の力によるものである。僕も版画の本を愛読書として持ってるし,版画芸術という季刊誌に連載している版画の歴史の解説は過去に見たどの解説よりも優れていて,東洋,西洋くまなく抑えようとしている・・・・ と、とにかくスゴイ人なんだが,その人を「k」と呼び捨てにするこの目の前の人物,いったい何ものーと,混乱気味のKon太。そして,今まで画材の開発者としてのIさんしか知らなかった僕は,こんなスゴイ人を〔誌かもとても仲がよいらしい〕紹介してくれて,なんか急にスゴイ感謝の気持ちでいっぱいになった。 そう,話は戻るが,K先生のところの大学院に行くのは良いんじゃないかと思うといってくれて,思ってもない話。実際学校を通 すと面倒な手続きが多くやってられないのだが、個人的にあって,まず話を聞いてもらえる,してもらえるのはスゴイ幸運。さらに,精華大学には今,南京からZHANG−KEというとてもすばらしい版画家がこうしにいらしていて,その人に相談するのがよいといってくださった。

日本にいて中国の版画,日本の版画を勉強する時間.夢のようです。 まず,作品を大量 に作らなければいけないなぁ。その後初めて話しになるという感じですなぁ。がんばるぞッて,すでにここで思ってしまった. 夕方,用事があるから今日はこの辺でということでバス停まで送っていただき 無事NYに帰って来た。 そのご、しょうしょう、SOHOのギャラリーを見たりした。 7時ごろ家で休んでると,リンが帰ってきてご飯食べに行こうか?と誘ってくれて今日も食事にありつけた。少し変わったお店だったので〔NYでは普通 なのだが・・・〕ここを紹介しようと思うが,今日は眠いので,またこの辺で.

実は6日夕方なのだが付け加えておく。夕食ははじめコスタリカ料理にしようか, とか言ってたが結局アメリカ料理になった。 3品なんでも頼んでよくて10ドル。チキンとか,スイートポテト,ミートロ−フブロッコリー,トマト,ハッシュドポテト,そういったものが主なメニューだ 量はたっぷりあるし,味もなかなかウマイ。 お店の内装は,素人の油絵や,美大生レベルの絵,マイスターの模写 などで埋め尽くされており,どこに座っても絵を眺めながら食事できる。 ポイントはお持ち帰りが基本的に出きるため,残して二回にわけて食べることも出きるので経済的だということだ。NYではこれがだいじだとおもう。 そして,ガラスケースの中のものを指差して注文できるため英語のわからない僕でも大丈夫だった。

ちなみに僕は基本はマクドナルドのチーズバーが二個だ。二ドル16セントでなんとか腹はもつ.しかしあまりに不健康なのでこういうところに行くのもよいのではないだろうかッて普通 はもっと良いお店に行くのかな,ハハハ. 僕は鮭と,チーズマカロニと,ズッキーニを食べた。満足だった. お店の名前は〔まま….〕というのだけど,そのままが,超ボインで若かった のが面白かったし,もう一人の若いバイトも子は,スタイルよくて髪がショッキングピンクで,ショートカットだったから〔フィフスエレメントのオンナのコ〕みたいな感じだった。店内は薄ぐらいがこの2人のおかげで店はとてもよい雰囲気だ。 食後に,リンがいっぱい飲んでいこうというので,ポールニューマンの映画で使われた古いバーに行った。良い雰囲気で,おねぇさんの愛想が悪いのもまた印象深い。 まずいブラッヂーマリーは忘れられない味になった それから帰ってきて,リンとコンテンポラリーアートについて話したり、お互いの製作を見せ合ったりして寝た。そう言えばこれが始まる前に電話かけたら,お昼のお食事中だったね。ははは。 今日はもうお休み _________________________________________________________

2000年9月某日

今日はお昼頃に起きてR子さんとリンさんにこの辺の〔チャイナタウンは南側で主に北のほう〕状況と本屋さんを案内してもらった.結構いい本屋さんで買いたい本が幾つか見つかった.明後日あたりに買いにいこうと思う。 ブランチに食べたポーランドのソーセージがうまかったなあ。 夕立もすごかった. あぁ,なんkぁ疲れてる.明日早いしきょうは寝よう,きっと夕方R子さん帰ってからさっきまで英語を話したせいだ。英語だけ。これは結構堪えるなぁ。 でもなんとなくいってることわかるンアぢょ名ぁ

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